山内神社のご神体は「『よのやまの太刀』という、土佐藩藩祖一豊公ゆかりの太刀です。
土佐山内家宝物資料館発行の『山内一豊没後四百年企画 山内一豊と見性院』という資料には次のように紹介されております。
「よのやまの太刀」の逸話(『御武功記』より要旨)
「16歳の頃(別の記録では14歳とも)、一豊は牧村政倫のもとへ浪人身分で身を寄せていた。
この頃政倫の家来で命に背くものがあり、政倫はこれを討つよう家臣へ命じた。先に二人が討ちに行くが、手間取っていたため一豊を屋根裏より行かせると、よのやまの太刀でまたたく間に仇敵の首を取った。
その後一豊は政倫の前で、先に行った二人が仇敵を仕留めたと述べたが、二人は進み出て事実を伝えた。政倫はこれを聞き、一豊の勇猛さと人柄に非常に感心したという。この年一豊は山岡道阿弥の息子対馬守に児小姓として召抱えられ、200石の扶持を与えられた。」
この逸話が一豊公の出世街道の始まりだったのでしょう。その後、藤並神社ご創立のときに一豊公の遺品としてご神体として納められました。
その「よのやまの太刀」が、このたび3ヶ月あまりの研ぎの旅を終えて、帰ってまいりました。
先般放映されましたNHK大河ドラマ「功名が辻」に関連した展示の折に、土佐山内家宝物資料館さんより「錆も浮いているし一度きちんと研いでいただいたほうが良いでしょう」とのご教示をいただき、ご高名な研師である本阿弥道弘先生を紹介していただきました。本阿弥先生は室町時代から続く名家である本阿弥家の第24代ご当主で、ご家業である美術刀剣研磨界の第一人者でいらっしゃいます。このたびは東京都の無形文化財(工芸技術)保持者として指定され、表彰されることが決まったということで誠におめでたいこととお慶び申し上げます。
そのように高度な研磨技術で研ぎなおされた「よのやまの太刀」はみちがえるようにぴかぴかになって帰ってまいりました。
ぴかぴかになって帰ってきたばかりの「よのやまの太刀」

宝物資料館の刀のお手入れをされている本阿弥先生。

最後にご無理申し上げて神社のご神門前で記念撮影をお願いいたしました。

刀剣のことにつきましてはまったく不勉強な神社の職員たち。宝物資料館の学芸員さんにご助力いただきながらも的外れな質問ばかりして、さぞかし先生を困惑させてしまったのではと反省しきりです。そのひとつひとつの質問にも丁寧にお答えいただきまして、本当にありがとうございました。お世話になりました。