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神社の窓ガラスに見事な蛾?蝶?が止まっていました。
この面からじっくり見ることもあまりないと思い、激写してしまいました。
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外の風景にピントが合ってしまったこちらのショット、ネオンみたいできれいですよね。
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なんという虫か現在調査中です。

と、思っていたら甥っ子さんが昆虫博士だという友人より、早速情報をいただきました。

サツマニシキ本土亜種」とい蛾だそうです。
昆虫の名前というよりは、焼酎の名前のようですね・・・(笑)。

ちょっと調べてみますと「サツマニシキ本土亜種」とは
『マダラガ科、ホタルガ亜科の1種。本州、四国、九州に分布する。幼虫はヤマモガシやクヌギ、ナンキンハゼなどを食べ、成虫は8月、9~10月に現れる。成虫は暗い樹林下にみられ昼に活動するが、灯火にも飛来する。危険を感じると黄色い泡を出し、それには鳥に対しての忌避物質を含むといわれている。蛾の中で最美麗種のひとつである。』とありました。

最美麗種ってよくわからないですが、きれいってことですよね。でも、マダラガ科というのは
『小型ないし中型の蛾で毒針を持ったものや、体液に触れると皮膚炎を起こす種が含まれている。』のだそうで、やはりきれいなものには・・・なのですね。
幼虫もきれいですが何か非常に痛そうです。

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情報どうもありがとうございました。
役に立った度100点でした。





九月も後半に入りましたが、土佐では日中はまだまだ残暑が続いております。

 今朝は宮城からバスケットの試合で高知へ来られたという方が参拝にいらっしゃいました。
お母様の旧姓が「山内」さまとおっしゃるそうで、縁を感じられお参りいただいたそうです。

『山内家に伝わった系図や家譜によると、土佐山内家は鎌倉の山内荘(やまうのうちのしょう)から でた山内首藤氏の系譜につながるといいます。

山内首藤氏は藤原鎌足の末孫の末裔という説、また関東の豪族藤原秀郷の末裔という説と両説あるそうですが、いずれにせよその子孫が主馬首(しゅめのかみ)に任ぜられ、「主馬首の藤原氏」ということで首藤氏と名乗り、のちに相模国鎌倉郡(神奈川県鎌倉市)の山内荘に土着したことから「山内首藤氏(やまのうちすどうし)と称するようになったと言われています。

鎌倉時代には伊勢や伊賀の守護職をつとめ、、備後・信濃・摂津などに地頭職を持ち、それに伴い一族の所在も広がったようです。そして室町時代には山名・大内・尼子・毛利といった中国地方の諸氏に使えました。このうち土佐山内家は、室町時代に丹羽国(兵庫県・京都府)に移り、さらに久豊(一豊の祖父)に尾張に移って尾張山内家の祖になったといわれています。』


 ただし残念ながら、現在ではその詳細は不明とのことです。大名家の多くの系図がそうであったように、意図的に系図を操作した可能性が少なからずあるので、真偽を確認することが難しいのだそうです。
 土佐山内家の系譜がはっきりと確認できるのは一豊の父盛豊からだそうです。

『盛豊は尾張黒田城(愛知県木曽川町)を居城として、岩倉城(愛知県岩倉市)の織田伊勢守信安に仕えましたが、一豊15歳の時、岩倉城が織田信長の襲撃を受けて落城し、父盛豊は戦死したといわれています。一豊は母と数人の家臣とともに流浪した後、織田信長、豊臣秀吉の両政権下で出世し関ヶ原合戦では徳川家康方に与して、戦後、土佐一国を宛がわれました。
以降土佐山内家は幕末にいたるまで江戸時代を通じて土佐藩主をつとめ、明治維新後も侯爵として華族会でも確かな位置をしめました。』

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参照
『山内一豊と見性院』㈶土佐山内家宝物資料館 2005
『歴史・文化ガイド 山内一豊と千代』日本放送出版協会 2005

 このように、山内一族は鎌倉時代以降全国各地に散在したようですので、遠く祖先を辿っていきますと、土佐山内家とのご縁もつながるのかもしれません。
おりしも季節はお彼岸。たとえ真偽の確認はできなくても、そういった遠祖先のご縁に手を合わせるひと時は、人の気持ちを豊かに彩る時間かもしれません。





慶長十(1605)年の今日、九月二十九日。
土佐藩初代藩主山内一豊公は高知城にてこの世を身罷りました。六十一歳でした。

法要は山内家の菩提寺である真如寺で執り行われ、火葬の上真如寺の背後にある筆山に埋葬されました。その後、四代藩主豊昌の時代に大々的に墓所の整備が進められ、一豊公のお墓は現在の場所、墓所の入り口から見て一番高い場所に移されたということです。(土佐山内家宝物資料館刊行『土佐藩主山内家墓所』参照)


山内家歴代藩主をお祀りする山内神社では、毎年この日にあわせ墓前祭を執り行っております。
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本日は、台風一過のすばらしいお天気となりました。
事前に清掃していただいた墓所は、朝日の中で厳かで清々しい雰囲気を漂わせており、400年余の間土佐の変化を見守り続けてこられた一豊公の慈愛が降り注いでいるかのようでした。

山内家の墓所は、通常一般には公開しておりません。
一豊公のご命日に関しましても、熱心な歴史ファンの方やゆかりの方からのお問い合わせもいただいておりますが、現時点では職員のみで神事を執り行っております。
今後良い形で、県民をはじめ皆さまにご覧いただき、土佐の歴史に想いを馳せていただける場になればと願っております。






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