山内神社の東側の手水舎の奥に、歌碑が建っているのをご存知でしょうか?

こちらの碑は澤村芳翠先生という方の歌碑です。
澤村先生について歌碑の裏に説明がありますのでご紹介します。
「澤村家は 藩主山内豊昌公より豊信公の世まで
七代にわたり典医として仕えた
先生は大正三年十二月一日 高知市水通町七十六
番地に生る 本名良高 澤村家九代 医学博士
俳誌龍巻主宰 高濱虚子 高野素十門 ホトトギス同人
なお 能楽喜多流正教授 太鼓は葛野流 小鼓は
幸流 社中芳翠会を主宰す
平成三年一月吉日 龍巻会 」
山内家にかかわりの深い方でもあり東参道に歌碑が建立されたということです。現在もお弟子さんたちの手もあり、このようにきれいに整備されております。
さて、そのお弟子さんの中のお一人、Yさまという女性。
よく社務所にも声を掛けてくださり、お手製の水中花をいただいたり美味しいお茶菓子を差し入れていただいたりしています。
俳句を楽しみ人生を楽しみ、本当にお会いするといつもこちらが元気をいただける、可愛らしくも優しいお人柄の、人生の大先輩です。
そのYさまが、今日も「お茶屋さんに寄ったから、お菓子をどうぞ」と差し入れしてくださいました。
そのとき、「歌碑の上に梟がいるのよ」と教えてくださり、早速写真を撮りに行きました。

わかりますでしょうか?デジカメの機能の限界と曇り空のせいで、これが精一杯だったのですが・・・。
はじめ、後ろ姿かと思いましたら、ちゃんとこちらを向いております。
これもYさんからお聞きしたのですが、梟は渡り鳥なんだそうです。ちょうど今くらいの時に渡ってきて子育てをするそうで、青葉の季節に飛んでくる来ることから別名『アオバズク』とも呼ぶそうです。
こんな町中で梟にお目にかかれるなんて♪
首をちょこちょこ動かして、かわいかったですよ~。
梟は、
フクロウ=「不苦労」=「福郎」と、転じて福を運ぶということで大変縁起が良い鳥とも言われております。
神社にはぴったりの鳥です。
どうぞご参拝のおりには、是非東の手水舎の横で上を向いて梟さんを探してみてくださいね。
そしておまけの、こちらは『梅雨茸』。

こちらも歌碑のところの木の枝にたくさん生えています。
梅雨のころに生えるから『梅雨茸』、これもYさんに教えていただきました。
今日はいろいろ勉強になりました。Yさまありがとうございました。